堺ブレイザーズの奮起を期待する

2017年5月1日

元堺バレーボール部長 松居英雄(S41)

 

 

23回Vリーグは、バレーボールナショナルリーグ創設から50年の記念すべきシーズンであったが、わが堺ブレイザーズは6位という残念な成績に終わった。一時は46年ぶりの「入れ替え戦出場」の可能性も十分あり、屈辱の下部リーグ転落すら懸念された。

 

リーグ創設以来「常勝」をチーム造りの理念の第一に掲げ、50回続くリーグで17回と最多の優勝回数(優勝率34%)を誇ってきたチームが、今まさに崖っぷちに立たされている。

 

そんな中で、3年後に迫った2020東京オリンピックの指揮を執ることになった中垣内祐一氏の代表監督就任は大きな朗報で、中野(池田)尚弘、中村祐造、辻合真一郎、田中幹保、植田辰哉、柳本晶一、真鍋政義各氏らと続いた、日本バレーボール協会におけるリーディングチームの位置を占め続けることになったことに高い誇りを感じる。

  

しかしこの点でも、この先この地位を保ち続けることはほとんど不可能とさえ断じざるを得ない状況である。 

 

 

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1939年に八幡の地で創部されて以来今日まで、八幡製鐵、新日本製鐵時代を通して、会社から大きな支援を受け、協力企業を含む多くの関係者の絶大な応援を受け、永く愛され続けてきたチームである。2000年(平成12年)には、日本バレーボールの一層の発展のために、チーム名から企業名を外してクラブ化チームのモデルとなってからも、この関係は変わらない。

 

しかし、今のままではチーム存続の意義が失われてしまい、そのうち廃部となっていく・・?

 

そんなことにならないことを願って、ブレイザーズ愛と今後の奮起に期待を込めた「檄」を送って、エールとしたい。

 

今こそ、奮起せよ、ブレイザーズ!!

がんばれ!ブレイザーズ!!

 

1.「常勝」がチームの目標であることを再確認しよう 

 

昨年末Jリーグのチャンピオンシップをテレビで観戦したときのことである。劣勢を伝えられた鹿島アントラーズが、本命の浦和レッズを破り、2016年シーズンのチャンピオンに輝いたあと、鹿島のキャプテン小笠原満男はあまりうれしそうな顔もせず、インタビューに答えているのが印象的だった。 

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「これからもっともっとタイトルを重ねるために貴重なタイトルであったと思うし、これから強くなれると思う。」

と優勝の喜びよりも先を見据えた決意のようなものを語っている。

 

その後の雑誌のインタビューでも、

「タイトルを積み重ねるから強くなれるわけで、かつて3冠を獲ったり、3連覇もしたが、このチームはそういうサイクルで強くなってきた。2016年のチャンピオンシップも常勝復活に向けた第一歩を再び踏み出せただけで、この後勝てなくなったら、また一からに戻ってしまう。タイトルを取り続けることで大事なものが繋がっていくから、大事なものはこれからだ。」

と答えている(web Sportiva 飯尾篤史氏より引用)。 

 

この言葉どおり鹿島アントラーズは、クラブワールドカップで準優勝、天皇杯でも川崎フロンターレを延長戦の末破り、黄金時代の再々来を予感させている。 

 

小笠原のこの発言を知ったとき、かつての新日鐵バレーのことを思い出さずにはいられなかった。日本リーグ4連覇が一度、3連覇が二度のほか、黒鷲旗など全日本レベルで優勝すること54回を数え、「常勝・新日鐵」の名を欲しいままにしてきたからである。

 

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新日鐵バレーボール部では、「優勝しなければ、準優勝もビリでも同じだ」という言い方が、当たり前のように口にされてきた。「常勝・新日鐵」・・それは、戦後間もない1950年に、全日本実業団選手権や国民体育大会(当時、6人制はまだ普及しておらず、いずれも9人制の大会)で全国制覇して以来、数々の栄冠を独り占めしてきた新日鐵バレーボール部が掲げてきた誇り高い伝統であり、先輩から営々と受け継がれてきた目標であった。

 

私がバレーボール部長を引き受けた時も、「優勝しなければ、準優勝もビリでも同じだ」の言葉は、選手にもスタッフにも、応援してくれる人にも、至極当然のこととして認識されていた。選手にもスタッフにも、さらにサポーターの人にも共有されてきた「常勝」精神こそが、常にチームの目指すべき方向を明確にし、結果として数々の栄冠を勝ち取り、多くの名選手と指導者を生んできたことは間違いがない事実である。

 

しかし、この伝統も時代とともに徐々に薄れかけてきているのではないかとの心配がある。特に、2001年に「所有から支援へ」という新日鐵の方針転換を受けて、堺ブレイザーズが誕生してからは、一層その危惧が大きくなっていた。チーム活動予算やスカウティングなどの制約から、「常勝」なんて目標はしょせん無理だよ、の声も聞こえるようになってきていた。

 

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そんな中で、第12回Vリーグ(20072008年度)で、8年ぶりに優勝したときに、中垣内祐一監督が優勝監督インタビューで口にした「やっと新日鐵のDNAを引き継ぐことができました」の言葉は、「常勝」と「常勝を目標にする」ことを知る時代の男の言葉として、感動的で強く胸に響いたものである。

 

その後も、ブレイザーズは優勝2回(うち1回は、東日本大震災で途中打ち切り時の順位によるもの)しているが、次第に「常勝」という目標を忘れてきている感は否めない気がしてならない。

 

最近、堺ブレイザーズの幹部から聞いた話であるが、他チームから来てブレイザーズ監督に就任した人が、

「ブレイザーズの選手は、試合に負けた時でも悔しそうでないように見えます。自分が前にいたチームの選手は、負けたらものすごく悔しがりましたよ」

と言ったらしい。この話は非常に象徴的であり、ショッキングでもある。

 

ここ3年間の成績は、4位、6位、6位と低迷している。「優勝しなければ準優勝でもビリでも同じだ」からすれば、4位でも6位でも同じだが、6位にしかなれない6位とすれば決して同じではない。  

 

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「常勝」をチームの目標に掲げて挑戦し続けてこそ、初めて見えてくるものもある。

堺ブレイザーズよ!!

「常勝」がチームの目標であることを再確認しようではないか。

 

2.主要スタッフ(監督、主将など)の役割は重要だ

 

バレーボールの試合で見る主将の役割は、限られたもののように見える。ラグビーやサッカーと異なり、室内競技でコートが小さい上、監督がコートのすぐ近くで指示を与えることができる。頻繁にタイムアウトも取れて、細かい指示を与えることも可能である。

 

ルール上は、判定に関して審判に質問したりする権限は、主将にのみ与えられていて監督にその権限はない。実質的に強大な権限を有する監督は、この点では高校野球の監督と同じなのだ。しかし、コート上の主将は、高校野球の伝令に等しい役割しか果たしていないように見える。

 

チームが主将を選任する場合に、トップチームでも選手の多数決によって決めたりするケースもあるようだ。新入団したばかりの選手が主将になったりすることもある。 

 

 

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これらのチームは、主将の役割をどう考えているのか、はなはだ疑問に思う。伝令役で十分と勘違いしているのではないかと思ってしまう。監督にすれば、主将が伝令役・秘書役に徹し、指示通り言いなりに動いてくれる方が便利で都合がよいかもしれないが・・。

 

一般的に団体競技において、主将の役割は極めて大きいといわれている。監督の示すチームの方針や目標を理解し、チーム全体を一つにまとめる重要な役割・キャプテンシーを発揮していくことは、チームがよい結果を生むために欠かせない。

 

主将自身も、いろいろな経験から多くを学び、組織に必要なリーダーシップも身につくものだ。さらに言えば、チームの伝統や誇りの重要な伝承者であってほしい。

 

堺ブレイザーズのキャプテンには、自覚と誇りをもって、この期待と責任に応えていってもらいたいものだ。

同様のことは、チームの監督についてもいえる。 

 

2009年度以降、堺ブレイザーズの監督には、新日鐵出身者が就任していない。これで、新日鐵のDNAが引き継がれるだろうか。

 

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常勝を誇っていたころの新日鐵チームは、プレーイングマネージャー制を取ることが多かった。中野(池田)尚弘、中村祐造、柳本晶一、田中幹保、真鍋政義ら各氏は、全てプレーイングマネージャーであった。今は時代も変わって、専任監督が常識となっているので、単純に比較はできないが、プレーイングマネージャーを務めた彼らが、その後、例外なく日本代表チームの監督に就任したことは偶然ではない。

 

極論かも知れないが、他チームから監督を雇うくらいなら、プレーイングマネージャーだって考えてもよいのではないかと思う。

 

3.応援サポーターがチームを強くする

 

私の経験(直感に近いが?)では、企業スポーツにおいてチームの成績は、会社の上層部や所の幹部や協力会社、一般従業員などのチームへの「熱の入れ方」に、見事に相関していると見ている。特に幹部の熱の入れ方によって、チーム成績は大きく左右されるように思う。 

 

新日鐵の製鐵所の場合でも、熱心な幹部が力を入れている製鐵所や熱心な幹部が力を入れている時の運動部の成績は確実に高いようだ。

 

 

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もちろん、熱心な勧誘により有能な選手をスカウティングできることで、チームの成績は向上するが、単純にそれだけでは強くならない。

 

監督や選手に要望を聞くと、必ず処遇面での不満や改善要望が出てくる。安心して練習や試合に打ち込める環境をつくってやることも重要ではあるが、これでも十分ではない。この面での要求はある意味で際限がないところがあり、一つ改善が進むとさらに次の要望が出てくることも少なくない。

 

成績向上に、費用も掛からず最も効果的な方法は、所の幹部を先頭にした応援サポーターの情熱ではないかというわけである。

 

選手たちは意外とそのようなことに敏感なのである。彼らは普段から幹部や周りの社員からどう見られているかを気にしている。 

 

「仕事もせずに好きなことをして給料をもらっている」と思われていないかと気にしているのだ。従業員の中には実際にそう思っているものも少なからずいるのも事実だし、中には口に出して言うものさえいる。

 

そうした空気がある中で、幹部を先頭に応援サポーターの人々の熱い大きな声援は、選手たちにとってどれほど強く心に響き、何にもまして頼りになることだろう。

 

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信頼と安心の気持をもって、日々の練習に取り組み、集中力をもって試合に臨めば結果はおのずからついてくるというものだ。

 

昔の(今でも?)日本のスポーツ界では永く根性論が幅を利かせてきたが、代わってスポーツ心理学やスポーツ医学の研究が盛んになり、例えば正しいメンタルトレーニングを行うことにより、パフォーマンスは2030%程度アップするという研究結果も発表されている。

 

選手がどういう気持ちで練習に取り組み、試合に臨むかは極めて大きいのだ。 

 

堺製鐵所の歴代の幹部はいつも運動部に対して、高い関心を持ち情熱と愛情を注いでこられた。

 

当時回覧された他所の所内報と読み比べても、新年のあいさつをはじめとして所長あいさつで運動部のことに触れている部分の割合は、いつも堺の所長のものが圧倒的に大きかった。毎月行われていた所長表彰式でのあいさつでも、必ず運動部の話がかなりの割合を占めたような記憶がある。 

 

これで所全体が盛り上がらぬはずはないし、監督・選手たちにとってもこれほど心強いことはない。

 

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バレーボール部が「常勝」を掲げて優勝を重ねたことも、無名の高卒選手ばかりの硬式野球部が、大学野球のスター選手を集めた松下電器、日本生命、住友金属の3強がひしめく激戦区で、何度も都市対抗野球に出場し、ベスト4に二度も輝いたことも、所を挙げて応援したことと無関係ではない。

 

新日鐵は2012年に住友金属と合併し、2014年には堺製鐵所が無くなり、ブレイザーズも和歌山製鐵所の管轄になった。もう、所の幹部がふらっと体育館に顔を出して練習を見に来ることもできなくなった。

 

だからこそ、今こそ、「わが堺」の皆さんに、堺ブレイザーズのサポーターとして、大きな声援を送ってもらいたいと切にお願いする。

 

職場で選手たちの話を聞くことも出来なくなった。遠くにいてはふらっと体育館に足を運ぶこともできない。

 

でも、皆さんの声は必ず選手たちに届くはずだ。

 

みなさんの熱い大きなご声援をお願いします。

 

4.最後に

 

私は、1988年から約3年間、バレーボール部長を務めた。

 

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歴代のバレーボール部長は、人事・労働部門や総務部門の方が務められることが多く、技術系の部長は初めてのことであった。スポーツ全般の愛好者であることを自負していたものの、バレーボールは全くの素人であったこともあり、当初は運動部の部長の役割について戸惑うことも多かった。

 

そんなことを当時の製鐵所長の大森茂所長に打ち明けたこともある。その時に、大森所長から「参考になれば」といって手渡された文書があった。この文書は、大森所長が経理部長として堺に着任され、野球部長をされていた時に書かれたもので、堺製鐵所を離任するにあたって野球部に残されたものである。と題された文書は、実にB5×46ページ(字数8,000字余)の手書きの大部である。

 

この文書は、記された内容や見識もさることながら、あふれるばかりの堺野球部に対する愛情と情熱が籠ったもので、部長の役割に戸惑いのあった私には、ぴったりのものであった。バレーボール部長時代はもちろんのこと、その後も何度も読み返してその都度勇気づけられたものである。

 

大部であるので、ホームページ「わが堺」に掲載するのは難しいかもしれないが、機会があれば皆さんにもぜひお読みいただき、当時の堺を思い出していただければと、紹介させていただく次第である。

 

以上

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