ナマステの国 訪問記

S47瓜生義雄

2008519

 

「ナマステ=こんにちは」と言って相手の目を見て手を合わせる。ネパールの人にも外国人の人にも優しくその言葉を言いあいながら心を通わし、英語で会話を弾ませる。

 

ネパールは心豊かな国だ。

 

我々は、福岡県立鞍手高校19回卒業生の5名。男3名、女2名、共通なのは全員69歳ということ。「年寄りの冷や水」との諺を恐れず、1011日のネパール、ヒマラヤトレッキングの旅に出た前期高齢者である。

 

なにせ我々は毎月19日に、全校規模で19回卒業生による同窓会を開くほど仲が良いことに加え、家でおとなしくしているような軟弱な玉ではないのだ。 

 

チョイ悪冒険老人なのである。

 

旅行は33日から13日まで。

以下は、チョイ悪冒険老人の「ナマステの国」旅行感想文である。 

 

 

ネパールはいくつかの点で日本と共通点があり、心から懐かしさと親しみを感じさせる国だ。

 

まず、田舎に行くと山の上まで「段々畑と水田」が広がっており、牛(水牛)が畑を耕している。それに加えて、人々が貧しいもののゆったりと笑顔で仕事に励んでおり、暖かさを感じる目元は、「明日は今日よりきっと素晴らしい」と信じているかのように明るく力強さを感じさせる。

 

またこれまで一度も宗教戦争をしたことがないおおらかさで、ヒンドゥー教、仏教、チベット密教が混然一体と融合している。

 

カトマンズ、バクタブル、パタンの街のダンバール広場(王宮広場)には、3年前のネパール大地震で大きく傷つき、いまだに復興が十分でないとはいえ、ネパール文化の奥行きの深さを感じさせる何かがある。あらゆるものを受け入れ自分のものとする人々の懐の広さだろう。

 

 

パシュパティナート寺院と隣接する火葬場では、魂を揺るがされるようなショックを受けた。

 

 

 

ネパール人は死ねば全員火葬される。

 

遺体はガンジス川上流の支流のそばに立つ寺院の前で、家族親族に見つめられながら、薪、竹、藁の上で4時間以上かけて焼かれ、その遺骨と灰はそのままガンジス川の支流に流される。

 

78体から濛々と上がる白煙とその異臭は、見つめる観光客からも言葉を奪う。火葬そのものは日本と全く変わらないのに、それを蒼天のもと公開で、家族全員が見つめながら、遺骨を薪等の灰とともに母なるガンジス川に流す、その精神の潔さにショックを受けるのだろうか?


 

最後にヒマラヤトレッキングについて一言。

 

ポカラから乾期のため細く干上がった川の底を通って、トレッキングの出発地「フェリ」へ行く。「フェリ」から「ダンプス」を経て、「マチャプチャレ山(6993m)」登山のベースキャンプである「オーストラリアキャンプ」まで一部石段を交えた山道を登る。

 

こうなるとさすがに69歳という年齢がこたえ、小生も女性2名も半ば息絶え絶えにあえぎながら登る。まさに難行苦行とはこのこと。

 

その苦労のおかげで、翌日早朝にはまだ明けやらぬヒマラヤ連峰とその後朝日を受けて輝きだす山々を目の前にすることができた。朝食はヒマラヤ連峰を見ながら、チョイ悪冒険老人5名で満喫だ。 


 

今から考えるとやや無謀な旅行を計画したのは、平均健康年齢が71歳との話から、

「元気なうちでないと決して行けないところに行こう」

となったもの。

 

最近は会うたびに、

「来年はどこに行こうか?」 

との会話が尽きない。